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本紙連載 法談閑談特別編

 論じ合うということの大切さ
―再び、映画『12人の怒れる男』を観て―

 内田雅敏
[弁護士]

 昨年春から東京女子大で非常勤講師をしている。昨年の講座名は「現代社会と人権」、本年度は「人権発達史」と異なるが、講座で話している内容はほとんど同じだ。各学部共通で2年〜4年生約160人を相手に、憲法、有事法制、イラク問題、国連、NGO、差別撤廃条約、北東アジア「共同の家」 等々についてである。
 『アラバマ物語』『ニュールンベルグ裁判』などの上映もある。つい先だっては、友人であるピースボート共同代表の吉岡達也氏を招いて、国連とNGOの活動などについて話してもらった。彼は本年4月、イラクで活動していた高遠菜穂子、郡山総一郎、今井紀明の三君が人質になったとき、3人の日本での活動などをビデオにまとめ、カタールに向かい、アルジャジーラのテレビ局に2回にわたって生出演し、2人がイラクの友人であることを紹介し、解放を訴えたというフットワークの軽いNGO活動家だ。
 前置きが長くなりすぎた。実は、この講座で、映画『12人の怒れる男』を観たのだが、これまで何度も観たにもかかわらず、今回もまた深い感銘を受けた。それは前述した三人のイラクの人質問題をめぐって、この国のメディアなどにおいて「自己責任」ということが声高に語られ、言語の一元化が急ピッチで進行しているからだ。言語力の劣化というべきかもしれない。参議院の決算委員会の質問の中では、自衛隊のイラク派遣に公然と反対する者は「反日分子」だなどという言葉すら飛び出した。
 外務省設置法第4条は、国内外で邦人が危険に遭遇したとき、その邦人がどのような見解の持ち主であろうとも、政府はまず邦人救出の責務を負うことを規定している。それが近代国家における個人と国家の契約関係なのだ。もちろんその救出方法についての議論はありうる。
 たとえば今回のケースならば、犯人側の要求を容れて、自衛隊をイラクから撤退させるか否か、という政策的判断はありうる。しかし人質とされた被害者たる三人に対して、「自己責任」 を云々し、攻撃するのは前述した近代国家における個人と国家との関係をまったく理解しないものだと言わざるを得ない。
 実は16年前の1988年秋から89年頭にかけて、昭和天皇裕仁氏の病状悪化、下血、死という事態のなかで、この国が天皇賛美一色に染め上げられ、祭など諸行が自粛され、これに異を唱える者は“非国民”だと言われかねない風潮すらあったが、そのときにも同じ思いでこの映画を観た。
 当時、このことについて一文を書いたので、あらためて読み直してみた。

 正月休みにビデオで『12人の怒れる男』を観た。今までに何度も観た映画であったにもかかわらず実に新鮮で感動的ですらあった。それは昨年9月末以来のこの国における天皇をめぐる現象、とれわけ「天皇に戦争責任があると思う」とはっきり述べた本島長崎市長の発言及びこれに対する自民党長崎県連、そして「右翼」の対応と重ね合わせながらこの映画を観たからだと思う。
 この映画は父親に対する殺人の罪に問われた少年の有罪・無罪を評決することになった陪審員たちの評議を扱った作品である。
 法廷に現われた証拠は、物証、証言ともに、少年に圧倒的に不利。陪審員たちの多くが、評議は全員一致で有罪となり簡単に済むだろう、そして早く家に帰ることができるだろうと考えた。なかには、頭の中は今夜の野球のことでいっぱいで裁判のことは少しも考えていない者すらいた。
 ところが、最初にまず有罪か無罪かの評決をとってみると、有罪説11に対し、無罪説を主張する者が1人いた。つまり、大半の予想に反して評決の一致が得られなかったわけである。簡単に有罪でケリがつけられ、すぐに家に帰れると思っていた陪審員たちの中のある者は、ただ1人無罪を主張するその陪審員(ヘンリー・フォンダ)に対し「どのような世界にもこのような天邪鬼がいるものだ」と毒づき、いったい何が狙いなのかと迫り、無罪説の撤回を求める。そして、「そもそもこのように明白に有罪の証拠がそろっているのであるから、無罪を主張すること事態けしからん。俺はこんなことは早く終わってナイターを見に行きたいのだ」とさえ言う。
 このような攻撃に対して、無罪を主張する件の陪審員はひるむことなく、法廷に提出された一見明白に有罪を裏付けるような証拠にもよく考えてみるといろいろ疑問点があることを指摘する。たとえば、凶器となった飛び出しナイフについても少年が前に買ったものと同一のものであるとされているが、同じようなナイフがほかにも売られていること、そして少年の犯行を目撃したという証人らの証言の信憑性などについて、具体的に疑問点を指摘する。
 このように具体的に疑問点の指摘を受けるなかで、有罪を主張するほかの陪審員の中にも、有罪説の根拠について少しずつ疑問を抱き始める者も出てくるのであるが、それでも少年の犯行と決めてかかる陪審員のなかにはこの指摘に全く耳を貸さず、「もうこれ以上の議論は無駄であるから無罪説を撤回せよ」と迫り、「それができないなら評決不一致で他の陪審員に委ねよう」といいだす(評決不一致の場合、裁判のやり直しになる)。
 その時である。欧州からの移民で時計職人である陪審員が――彼自身は未だその少年が有罪だと思っているのだが――立ち上がって、おおよそ次のようなことを言う。「時間がかかってもいいからもっと議論しよう。私はいま思ったのだが、これが民主主義だと思う。我々はこれまでともに見知らぬ者同士。ある日突然通知が来て陪審員に選ばれたにすぎない。そして我々はあの少年が無罪であるか有罪であるかになんの利害関係もない。しかし我々は法廷での見聞をもとに、こうしてそれぞれ思うところに従って議論している。私は有罪・無罪それぞれについてもっと話を聞きたい」。
 私はこの発言に感動した。民主主義はこのような人物が存在することによってはじめて維持されるのだと思った。私はこれまで、この映画を陪審裁判を扱った裁判劇としか見ていなかった。しかし、この映画は単に裁判劇であるだけでなく、もっと深く民主主義とは何かということを問うているものであるということがよくわかった(そのことを欧州からの移民である時計職人に言わせるところに演出の冴えを感じる)。逆な言い方をすれば、陪審裁判とはまさに民主主義そのものの問題にほかならない。
 すなわち、自分は有罪説に立ち、相手とは異なる見解をもっていながらも、相手の見解に対して真摯に耳を傾けようとする、このような態度こそ民主主義の根幹をなすということである。そして相手の見解に真摯に耳を傾けようとする態度は、当然のことながら相手の見解に説得力があるならば、事故の見解に固執せず、これを訂正して相手の見解を受け入れようとする用意を大法下者でなくてはならない。
 映画はこのような進展の中、当初は少数だった無罪説が次第に増え続け、やがて多数説になり、最後には全員が無罪説となり評決一致をみることになる。〈少数説が多数説に変わりうる可能性の保障〉、これこそ民主主義である。。
 もちろんそこに至るまでにはいろいろな曲折がある。有罪説をとる者のなかにはかたくなに自己の見解に固執し、他の見解にまったく耳を貸さなかったり、あるいは被告人である少年がスラム出身であることについて先入観による露骨な差別的発言をなすこともあった。この発言に対してまず最初に同じくイスラム出身の陪審員が評決のテーブルを離れて立ち上がり、発言者に対して背を向けて抗議の意思を表明するや、他の陪審員もそのあまりにも差別的な発言に辟易して次々と――直ちにという具合でなく、少しずつ間を置いて順次に――同様にテーブルを離れ、抗議の意志を表明するに至る。この場面も感動的であった。
 このように相手が自分と異なる見解の持ち主であるとして、その見解について議論するのでなく、そのような見解を持つことを許さないとして相手を攻撃し、相手の存在を許さないとする態度、あるいは偏見による先入観で相手を攻撃する態度は民主主義とは無縁なものである。(以下略)

 この一文を書いたのが1989年1月だから、それからもう15年経ていることにんなる。今、「自己責任」という言葉が声高に語られているのを見るとき、15年前のこの一文がそのまま通用することを思わざるを得ない。結局この国は少しも変わっていないのか。
 あまり悲観的な話ばかりではよくないから、最後にちょっぴり良い話もしておきたい。
 この映画を観た感想を学生たちに書いてもらったところ、哲学科の3年生の1人が以下のような出色の感想を書いてくれた。

 「自分と反対の意見に耳を傾けることは難しい。自分の意見に情熱を持てば持つほど反対意見に対しては頑なになってしまうことを、何人かの登場人物が体現していた。ヘンリー・フォンダ扮する建築家が、たった1人の反対者だったにもかかわらず比較的冷静であったのも、彼の性格に加え、積極的に無罪を信じていたわけではなかったからだという点も大きいと思う。熱狂的であればあるほど、異なる意見に対して耳を閉ざし目を閉じてしまいがちなのは、誰しも経験のあることだろう。違う意見を持つ他者に対して常にオープンでいることは、意識してそうしない限りとても難しい。そういう意味では、汗ひとつかかず冷たい人間といった印象の株式仲買人の、建築家たちの言い分を傾ける態度は立派だったと思う。
 現代の感覚からすれば、陪審員が(アングロ・サクソンばかりでないものの)全員白人で、しかも男ばかりであることなど、違和感を否めない点も多い。しかしヒスパニック系と思われる被告への差別感情は驚くほど小さく、スラム出身者に対する偏見を口にした陪審員に対してほかの11人全員が抗議の意志を示すなど、かつて世界が憧れた大らかな民主主義がこの時代、たしかに存在していたことを窺わせた。理想主義的色彩の強い映画でっても、新鮮な感動を覚えずにはいられなかった。ヨーロッパから、もしかするとナチスの迫害を逃れて移民してきたかもしれない時計職人が語ったアメリカ民主主義を讃える言葉も、この映画の主要なテーマの1つなのだと思う。
 さて、日本の陪審員制度はどう機能していくだろうか。たった1人で反対意見を主張することは、この社会の中ではあの映画以上に難しいことだと思う。最近の事件を引用するまでもなく、日本社会が異質なものに寛容になっていくにはまだまだ時間がかかりそうだ。しかし、少しずつでも開かれた社会へ向かっている(あるいは向かわざるを得ない)こともまたたしかであるし、陪審制度を通じて、各人が各人の意見を堂々とたたかわせる土壌が築かれることを願う」

 この映画が訴えようとしたことを要にして簡にまとめた一文だ。何も付け加えることはない。
 〈自分の意見に情熱を持てば持つほど、反対意見に対して頑なになってしまう〉――もって瞑すべきではなかろうか。このような一文を書く若者がいることを知るのは嬉しい。
(6月6日記)

うちだ まさとし  1945年生まれ。早稲田大学法学部卒業。75年弁護士登録。日弁連人権擁護大会・戦後補償シンポジウム実行委員長などを務める。花岡事件をはじめ補償請求問題や訴訟に積極的に取り組む。憲法調査会市民監視センター事務局。許すな!憲法改悪市民連絡会事務局長。「イラク派兵違憲訴訟・東京」の中心弁護士。今年3月17日から毎日1人づつ本人訴訟を起こすという「毎日提訴運動」を開始。著書に『「戦後補償」を考える』(講談社現代新書)、『懲戒除名―"非行"弁護士を撃て』(太田出版)、『敗戦の年に生まれて―ヴェトナム反戦世代の現在』(太田出版)、 共著に『在日からの手紙』(太田出版)、『憲法9条と専守防衛[教科書に書かれなかった戦争シリーズ]』(梨の木舎)など。

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